分け隔てない神
神は人を分け隔てなさいません。外国の人たちのことはもちろんですが、異なる性に対しても神は分け隔てされません。この日本の社会においては、いまだに女性が分け隔てされている現実があります。さらに、男性と女性という二つの性では分けられない方々が、マイノリティとして大きな差別や被害を受けています。その他にもたくさんの分け隔てが、私たちの社会には歴然として存在しています。人を分け隔てされない神様は、この世で分け隔てされている最も小さい者たちと共にいてくださいます。このような社会の中で生きているキリスト者として、人を分け隔てされない神の思いを現実のものとするために、まず私たちが、神様の思いに従って、人を分け隔てしない教会として立ち続けていきたいと願います。
神が清めたもの
ペトロは、汚れた物を食べることをかたくなに拒み、汚れた物を食べる異邦人を拒んできました。そのようなペトロのかたくなな心が、神様によって崩されていった。人を分け隔てしてきた姿から、なんびとをも区別なされない神様の方へと心を向き直させられた。心が向き直る方向転換、悔い改めが起こったのです。
考え方や思想の違う者同士が相手との違いを受け入れ、互いに認め合い、共に生きる神様の平和。そのためにはまず自分が変えられていかなければなりません。自分が正しい、あの人は間違っている、という思いを捨てて、謙虚になって互いに違いを認め合いつつ、共に神様の御前にひざまずき、共に礼拝を献げること。そのような平和を神様は願っておられるのではないでしょうか。
ペトロの伝道
私たちの祈りが毎回必ず聞かれて、いやしがその都度行われるのであれば、自分の祈りに力があると勘違いし、その背後におられるイエス・キリストのことが忘れ去られてしまいます。いやしが起こり続けるとき、人々の目はそのいやしに注目し、イエス様がこの世に来られたこと、十字架の贖いとなられたことが、かすんでしまいます。
8年間も寝たきりのアイネアをお世話し続けた教会。たくさんのやもめたちのお世話をし、みんなから慕われていたドルカス。そのドルカスが病に倒れたとき、彼女をていねいに葬ってあげた教会。そして、その二人の女性をイエス・キリストの名によっていやしたペトロ。イエス・キリストにあって生まれ変わった人々は、善い行いをするように造られているのです。
宣教の準備
まことの神様から離れてしまっていたパウロは、キリストとの出会いを通して神様の方へと方向転換をします。パウロは、迫害者から迫害される者へ、力ある者から力のない者へと変えられていったのです。パウロの生き方が変えられていったこの出来事こそが、パウロを知っている人たちに対する大きな証しとなるのです。
キリストに出会ったパウロは、自分は光ではなく、光を入れる土の器であることを教えられます。土の器は、その中で光輝くイエス・キリストを人々に示すことによって、その価値が生まれます。パウロはキリストと出会い、キリストを迫害する者からキリストの宣教者へと変えられていきました。パウロは宣教者となるために、イエス・キリストと出会い、変えられたのです。
パウロの回心
イエス・キリストに出会う前のサウロは、力強く、自信に満ち溢れていました。自分の力で神様の役に立ちたかったのです。ところが、イエス・キリストと出会ってサウロは力を失います。イエス・キリストとの出会いは、私たちがいかに無力であるかということを教えます。力の無い本当の自分をさらけ出す。こうして自分の力に頼るのではなく、ただ神の力によって生かされていることを実感するのです。
無力になったサウロは、自分は光ではなく、土の器であることに気付かされます。自分自身で輝くのではなく、土の器はただその中に輝く光を持っているからこそ、価値があるのだ。無力でありながら、神にすべてを委ね、神の力によって生きることのすばらしさをサウロは実感するのです。
