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異邦人のバプテスマ
エチオピアの高官がバプテスマを受けたのは、主の天使と主の霊の働きでした。この出来事の導き手としてフィリポは選ばれました。神様は御自身の福音宣教の働きのために、私たち人間を用いてくださいます。人間の力など必要とされないのに、あえて私たちを用いてくださるのです。もしフィリポが勇気を出して宦官に声をかけなかったなら、この出来事は起こりませんでした。またフィリポが、宦官が読んでいた聖書の箇所の解き明かしができなかったなら、この出来事はなかったことでしょう。声をかける勇気と、聖書を解き明かすための力。フィリポが普段から聖書を学び、勇気をもってエチオピアの宦官に声をかけたからこそ、ユダヤ人ではない異邦人のバプテスマという出来事が起こったのです。
聖霊の働き
サマリアでのフィリポの働きを聞いて、エルサレム教会はペトロとヨハネをサマリアに派遣します。遣わされたペトロとヨハネの働きを見て、魔術師シモンは金でその力を授けてほしいと願い出ます。するとペトロは、神の賜物は金では手に入れられないのだと答えます。
魔術を施す人は、自分の目的のために術や呪文を用いて、その力を行使します。それに対して神の賜物は、神の力の前にひれ伏すのです。その力を自分の支配下に置くのではなく、神様の偉大な力の前にひれ伏して、その神様の力の担い手として私たちが遣わされる。私たちに力があるわけではありません。ですから、神の賜物を自分の思い通りに使おうとする者や、神の力を自分の支配下に置こうとする者には、神の賜物は与えられないのです。
迫害を受けて
この世の闇を照らす光として来られたイエス・キリストは、人間の心の奥に潜んでいる暗闇を照らし出します。けれども、人々は自分の心の暗闇が光に照らされることを恐れて、光より闇を好みました。
最高法院で大祭司や律法学者たちの暗闇を告発したステファノは、殉教します。それがきっかけとなり、クリスチャンは迫害を受け、地方へとちりぢりバラバラにされていきました。ところが散らされていった人々は、それぞれが逃げていった先で福音を宣べ伝えていきました。こうして、福音は町から町へと告げ知らされていったのです。迫害され散らされれば散らされるほど、福音は広がっていきました。キリスト教を弾圧しようとする人の思惑とは裏腹に、キリストの福音はまるで燎原の火のように広がっていったのです。
エマオの途上
エルサレムから逃げ出した弟子たちは、復活の主イエス・キリストに出会って変えられます。「わたしたちの心は燃えていたではないか」。もう日が暮れてしまっているにもかかわらず、彼らは逃げ出してきたエルサレム、危険と困難が待ち受ける場所へと急ぎ戻っていくのです。
復活の力。それは、頭の中で知識として知っていることではありません。復活の力とは、復活の主と出会い、私たち自身が復活させられていくこと。すべての希望を失い、とぼとぼと逃げるようにエマオへと向かっていた弟子たちが、復活の主イエス・キリストと出会い、心を燃やされて、元いたエルサレムに立ち帰り、そこで自分たちが抱えている問題に立ち向かっていく力が与えられること。それが、復活の力なのです。
