月別アーカイブ: 2025年12月
神をほめたたえる
人生の晩年を迎えていたシメオンとアンナは、生まれたばかりの幼子イエスを見て神をほめたたえました。貧しい家に生まれた幼子、イエス・キリストをほめたたえる老人たち。
弱い者たちは差別され、切り捨てられていく、そんな世界に救い主が来られた。クリスマスは、この世で弱さを抱えている人たち、弱さを認めざるを得ない人たち、世の中から差別され、切り捨てられようとしている人たちのための救いの出来事なのです。自分の弱さを知っている者、自分の弱さを認めている者たちの救いの出来事。
シメオンとアンナは人生の晩年に、この世に来られたまことの光を見出し、それを人々に宣べ伝えました。彼らは、目に見えるものではなく、その先にある光、肉の目では決して見ることのできない光を見て、神をほめたたえたのです。
主の喜び給う人
私たちが探しに行かない場所、誰も考えなかった場所に、生まれたばかりのイエス様は寝かされました。羊飼いが訪ねていくことのできた場所。その飼い葉桶が羊飼いたちに与えられたしるしでした。
羊飼いたちは、貧しくて汚い仕事をしていました。その上、安息日の礼拝に出ることもできませんでしたから、イスラエルでは罪人扱いされていました。そんな彼らでしたが、神様は「主の喜び給う人」、主なる神様が喜んでくださる人と呼んでくださったのです。羊飼いたちは天使たちの言葉を信じ、飼い葉桶に寝かされた救い主を見つけ出すことができました。貧しくても、罪人扱いされていても、神様を信じ、その御言葉に従って歩みだす者だけが、飼い葉桶に寝かされた救い主に遭うことができるのです。
神の逆転の出来事
たいへんな境遇の中で、それでも生きている、生かされていることを実感していたマリアは、その思いを神様への賛美として歌いました。弱く虐げられている人たちが中心となって輝くことができる社会を築き上げる神の逆転の出来事。マリアは神様に期待して、賛美します。
クリスマスは、この世でもっとも大きな神の逆転の出来事。神の身分であられたイエス・キリストが、神と等しい者であることに固守しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分となり、人間の姿で現れたこと。
神様を喜びたたえるとは、口先だけではなく、神様の望まれる社会を実現していくこと。弱く貧しい命、小さくされた命を大切にしてくださる神様を、私たちも喜びたたえていこうではありませんか。
お言葉どおり、この身に成りますように
マリアが救い主の母として選ばれるために満たしていた条件は、身分の高い家柄ではなかったことだけでした。特別な理由はありません。それは、神様が決められ、選ばれたことだからです。自分にはとても資格がない、自分は引き受けることのできるような者ではないことをよく知っていたマリアは、それでも主の御用のために自分が招かれたということを知り、その招きに応えました。
私たちも、神様によって選ばれ、招かれています。神様は一人一人に信仰の決断を迫っておられます。神様からの求めに対して、私たちもマリアのように、応える者とならせていただきたいと願います。何もできなくていい。何もできないからこそ、神様はあえてそういう人を選んでくださるのです。
