派遣の按手
パウロにとって、アンティオキア教会で過ごした1年間はとても大事なものでした。そこにはさまざまな国の人たちが礼拝をしていました。聞いたことのないようなリズムやメロディの讃美歌。見たこともないような形の礼拝。服装も自由に着飾り、伝統的なユダヤ教の礼拝とはまるで違っていたのです。そのような準備の時を経て、サウロとバルナバはアンティオキア教会から送り出されていきます。
二人を選んで送り出すのはアンティオキア教会ではなく、主なる神様でした。手を置いて祈ることは、送り出す側が送られる二人と共に連帯し、どこに行こうともこの二人を祈り支えていくという思いを表わしています。祈り続け支え続け、そのようにしてアンティオキア教会も、二人と共に主の宣教の業を行ったのです。
ペトロを守る天使
ペトロのために一生懸命祈っていた教会の仲間たちの祈りが聞かれるためには、大切なポイントがあります。ペトロ自身は奇跡的に助けられることを期待していませんでしたし、教会のみんなから熱心に祈られていることも知りませんでした。教会のみんなが集まって熱心な祈りが献げられていたにもかかわらず、祈っていた彼らはペトロが奇跡的に助かるということを期待していませんでした。もちろん、ペトロが助かることを願ってはいたのですが、それが奇跡的な形ですぐに起こるとは誰も考えていませんでした。祈りは、自分たちの願い通りになることを期待して献げるのではなく、主なる神様にすべてを委ねて祈るときに、そこで起こされる結果は神様からの奇跡の出来事として現れてくるのです。
アンティオキア教会
キリスト教の迫害のために地方に散らされていった人々は各地でキリストの福音を宣べ伝えますが、最初はユダヤ人以外のだれにも福音を語りませんでした。けれども、ギリシア語が話されていた地域では、まずヘブライ語で福音が語られていき、次第にギリシア語しかわからない人たちのためにギリシア語でも福音が語られていきました。
言葉の違いによって待遇に差が出てきた初代教会で、言葉の違いの豊かさによって、言葉の違いを超えて福音が広がって行きました。そして、福音の広がりだけではなく、世界中に起こった大飢饉の際に、教会の人々がそれぞれの力に応じて援助の品々を送る働きを担っていきました。違いを超えて福音と支援、御言葉と奉仕が広がっていったのです。
異邦人への広がり
コルネリウスとの出会いを通して変えられたペトロでしたが、エルサレムにいたユダヤ人キリスト者たちは、異邦人と食事をしたペトロを非難します。すると、ペトロは怒ることも憤ることもせず、自分がコルネリウスに遭う前に見た幻の話から始めて、順序正しく説明し始めました。ペトロは、自分の考えや思いではなく、ペトロとコルネリウスの上に起こった出来事、事実だけを語ったのです。神は、異邦人にも聖霊を送ってくださった。ペトロの証しを聴いた人々は静まりました。そしてペトロを非難した人々が、神を賛美し始めたのです。静まって神の声を聴き、自分たちの過ちを悔い改め、神を賛美する。これが、異邦人への伝道が本格的に始まった際に起こった出来事でした。
分け隔てない神
神は人を分け隔てなさいません。外国の人たちのことはもちろんですが、異なる性に対しても神は分け隔てされません。この日本の社会においては、いまだに女性が分け隔てされている現実があります。さらに、男性と女性という二つの性では分けられない方々が、マイノリティとして大きな差別や被害を受けています。その他にもたくさんの分け隔てが、私たちの社会には歴然として存在しています。人を分け隔てされない神様は、この世で分け隔てされている最も小さい者たちと共にいてくださいます。このような社会の中で生きているキリスト者として、人を分け隔てされない神の思いを現実のものとするために、まず私たちが、神様の思いに従って、人を分け隔てしない教会として立ち続けていきたいと願います。
