投獄
占いの霊に取りつかれた女奴隷は、その稼ぎを主人たちに巻き上げられていました。彼女はパウロによって悪霊から解放されましたが、主人たちは女奴隷が商売道具として使えなくなったと訴え出ます。彼女が悪霊から解放されたことを共に喜ぶことができなかったのです。
パウロとシラスは女奴隷の主人たちから訴えられて役人に引き渡され、衣服をはぎとられ、鞭で打たれ、足枷をはめられて、牢に入れられてしまいます。女奴隷を占いの霊から解放し自由を与えたパウロとシラスは、自由を奪われ肉体を拘束されました。人の喜びを共に喜ぶことの難しさを、聖書ではいたるところで語っています。私たちも、人の喜びを共に喜ぶことのできる者となっていきたいと思います。
マケドニアの叫び
パウロはトロアスでマケドニア人の幻を見て、自分たちが召されていると確信します。確信し、決断し、行動する。神様は私たちの思いや意思を尊重してくださいます。自分で考え、自分で決断し、自分で行動する。そうやって選んだ道を、神様は共に歩み、祝福してくださいます。パウロ一行がアジア州に行くことを聖霊から禁じられたこと、ピティニア州にもイエスの霊が入ること許さなかったことも、彼らが計画を変更せざるを得ない事情をそのように理解し、マケドニアの対岸にトロアスへと導かれていったのです。
私たちはこの地に立つ教会として、この地に住む人々の叫び声を聞き取っていかなければなりません。この叫び声にしっかりと耳を傾けて、この地の人々に仕えていく教会となりたいと願います。
妥協と合意
アンティオキア教会はエルサレム教会の4つの条件を受け入れました。律法を重んじていたユダヤ人キリスト者にとって、たった4つの戒めだけというのはたいへん大きな譲歩でした。また、信仰のみ、恵みのみによって救われると信じていた異邦人キリスト者たちにとって、4つも戒めを与えられたということは大きな負担でした。しかし、お互いが譲り合うことによって、相手を切り捨てるのではなく、同じイエス・キリストを信じる者として歩んでいこうではないか。福音を宣べ伝える相手はそれぞれ違うかもしれないけれども、ユダヤ人も異邦人もすべての人が救いに預かることを願いながら、それぞれがそれぞれのところで使命を受けて働いていく。その姿が、お互いの働きを励まし、勇気を与えてくれるのです。
エルサレム会議
ペトロは自分の体験を通して、異邦人も主イエスの恵みによって救われると語ります。ヤコブは、神に立ち帰る異邦人を悩ませてはならないこと、けれども律法を守ってきたユダヤ人キリスト者に配慮して若干の条件を付けることにしました。ユダヤ人であるか、異邦人であるかという違いによって互いに反目し合い、分裂し合っても何の利益にもなりません。ユダヤ人も異邦人も互いに協力し合い、イエス・キリストを宣べ伝えていくこと。自分の主張だけを強く推し通すのではなく、相手の言い分だけを一方的に受け入れるのでもなく、両者がしっかりと協議して譲れるところは譲り、譲れないところはきちんと主張して、相手側の気持ちも理解しながら歩み寄っていったのです。
天と地と海と世界の創造者
パウロを神にしようとした人々に対して、パウロはこう語りました。我々もあなたがたと同じ人間に過ぎない。人間を神にしてはならないし、人が神に成り代わってはならない。天と地と海とその中にあるすべてのものを造られた方だけが、本当の造り主、本当の神なのだ。
足の不自由な男は、いやされるのにふさわしい信仰がありました。たとえ足が不自由でも、何もできなくても、そんな私でも天と地と海とその中にあるすべてのものを造られたお方によって、造られた素晴らしい存在なのだ。それが、彼がいやされるのにふさわしい信仰でした。どのような存在であっても、まわりの人たちから認められなくても、神様によって造られたということが本当に大事なことであり、尊いことなのです。
